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年表 / TIMELINE / 1891 / 7 MIN READ

1891年、挿絵が帽子を発明した

誰もが思い浮かべるあの帽子は、原作に一度も出てこない。1891年、一人の挿絵画家がホームズの顔と帽子と部屋を決めた。

1891年、挿絵が帽子を発明した

シャーロック・ホームズと聞いて、多くの人が同じ姿を思い浮かべる。前後に庇のついた帽子。肩からかけたマント。手には拡大鏡。

ところが、コナン・ドイルの原作には、その帽子は一度も出てこない。

鹿撃ち帽と、肩マント。原作にはない姿。
鹿撃ち帽と、肩マント。原作にはない姿。

挿絵画家が、帽子を描いた

1891年7月、ロンドンで創刊まもない月刊誌「ストランド・マガジン」が、ホームズの短篇連載を始めた。この雑誌は、見開きごとに必ず一枚は絵を入れる方針だった。挿絵を任されたのが、シドニー・パジェットという画家である。

第二作にあたる短篇で、ホームズは列車に乗って田舎へ向かう。ドイルが書いたのは「耳当てのついた旅行用の帽子」という一行だけだった。パジェットはこれを、鹿撃ち帽(ディアストーカー)として描いた。前後に庇があり、耳当てが紐で留められる、狩猟用の帽子である。

画家の側に、深い意図はなかったと思われる。田舎へ行くのだから狩猟の帽子だろう、という程度の判断である。実際、同じ画家の絵でも、ロンドン市内のホームズはきちんと山高帽をかぶっている。

ストランド誌の紙面。文章の隣に、必ず一枚の絵。
ストランド誌の紙面。文章の隣に、必ず一枚の絵。

絵の方が、文章より速い

だが読者は、文章より先に絵を見る。そして絵の方をよく覚えている。

連載は爆発的に売れた。毎号、発売日には売店に列ができたと伝えられる。何十万という読者が、同じ一枚の絵を見て、同じホームズを頭に入れた。文章は人によって違う像を結ぶが、絵は全員に同じ像を配る。

やがて舞台がこの絵を採用し、映画が舞台を引き継ぎ、パロディが映画をなぞった。百三十年のあいだに、鹿撃ち帽は「探偵」そのものの記号になる。いまでは帽子の絵ひとつで、誰のことか誰にでも通じる。ドイルが一行も書かなかったものが、である。

部屋も、同じことが起きた

帽子だけではない。あの居間もそうだ。

原作に、部屋の寸法は書かれていない。壁の色も、窓の大きさも、暖炉の形もない。あるのは、事件のたびに書き足された物の名前だけである。暖炉。肘掛け椅子。実験の台。手紙を刺したナイフ。

パジェットは、その断片を一枚の絵にまとめた。暖炉があり、その前に椅子があり、窓から光が入る居間。読者の頭の中で、部屋の形がひとつに決まった瞬間である。以後、世界中の読者が「あの部屋」と言えるようになった。実在しない部屋なのに、である。

暖炉と肘掛け椅子。絵が、部屋の形を決めた。
暖炉と肘掛け椅子。絵が、部屋の形を決めた。

絵が、文化を運ぶ

この出来事には、続きがある。

1965年、日本から来た撮影隊が、アメリカ東部の八つの大学で学生たちを撮った。芝生に寝転ぶ姿、講義へ向かう姿、食堂での姿。一冊の写真集になったそれは、当のアメリカではほとんど売れなかった。

だが日本では、その写真が「アイビー」という言葉の中身になった。誰も現地に行かなくても、写真があれば真似ができる。服の組み合わせも、鞄の持ち方も、写真から読み取られた。

1891年の挿絵と、1965年の写真集。どちらも、遠くの誰かが真似できるようにしたという点で、同じ働きをしている。文化は現物ではなく、絵と写真によって運ばれる。

この年表が、絵や写真の話をたびたび挿むのは、そのためである。

参考:ストランド・マガジンの書誌、シドニー・パジェットの挿絵(パブリックドメイン)。パジェットが弟をモデルにしたという逸話は伝聞のため、断定を避けています。『TAKE IVY』(1965)は言及のみ。

文章は人によって違う像を結ぶが、
絵は全員に同じ像を配る。

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